時言時論
   
8月踊りの輪のなかに   
    地域包括ケアを見た
 
  鹿児島県医師会長 池田哉   
   
          
 昨年末、MBC番組審議会の委員を務めているということもあって「神を招くシマ〜奄美大島・秋名のアラセツ行事〜」というテレビ番組を見せて頂いた。奄美では旧暦の8月が一年で一番賑わう季節。五穀豊穣を祈る「アラセツ(新節)」の行事が龍郷町の秋名集落で行われ、400年の伝統を持つ「ショチョガマ」と「平瀬マンカイ」が集落の人々によって披露される。奄美の関係者ならご存知であろう。

 ショチョガマとは、萱葺きの片屋根小屋のことで、山手の高い所に造られたショチョガマに集落中の男たちが上がり、歌やかけ声を出しながら足踏みして踏み倒す。そして、この日の夕刻には、「平瀬マンカイ」の祭祀がある。東シナ海に偏した湾の浜辺で行われ、岩に上ったノロ(祭祀を取りしきる女性)達が唄を掛け合い、海の彼方から稲の神を招き寄せ、豊年を祈願する。二つの神事のあと、集落の人たちは輪になって、夜が更けるまで8月踊りを踊るのである。

 番組はこの伝統行事に係わる秋名集落の人々の、祭りに懸ける思いや、8月踊りの稽古の様子を丹念に描きながら、シマ(集落)に生きる人々の日常も追いかけていく。

 否応なく過疎化が進む秋名の集落で、最近UターンやIターンの若い人たちが暮らし始めた。彼らは地域に溶け込もうと、祭りや8月踊りの稽古と一生懸命取り組む。だが、うまくいかない。そのなかに、86歳のスガおばが登場してくる。一人暮らしで、ネコと同居。歌が上手で、チジン(太鼓)の名手。若者たちの稽古を見て、「遊びじゃがね、そんなんじゃダメ」、もう教えないとスガおばは怒る。しかし、「スガおば教えて」と追いすがる若者たちの情熱にほだされて、一番難しいと言われる伝統のチジンで、踊りへの「入り太鼓」を打つ。何回も何回も敲く。やがて厳しい稽古が終わり、8月踊りが本番を迎えると、各家々の庭で、老いも若きも輪になって歌い、踊り明かす。その輪のなかで、シマ(集落)の人々の心は一つになり、地元の娘さんは「仲間がいることが嬉しい」「ニャーダマ(稲の神様)も一緒にきっと踊っている」と明るく話す。そして、スガおばは「ここで生まれ、ここで生きてきてよかった。ここに住んでよかった。これからもそうだよ」と穏やかな表情でつぶやく。

 秋名では、集落の全員が「家族」である。一人暮らしの高齢者の姿が見えなければ、皆で探す。地元で暮らしている人たちは、「よそ者」や「若者」にも温かいまなざしを注いでいる。「ここで生きて、ここに住んで良かった」と言えることが、どんなに幸せなことであろうか。秋名の人々にとって、伝統の祭りや踊りは生活の一部であり、集落の人々の神に対する畏敬の念は継承されて、子ども達に伝えられていく。素晴らしいことだと実感した。

 映像を見たあと、なぜか頭に「かかりつけ医」のことが浮かんだ。我々にとって目下の最重点課題は、地域包括ケアネットワークの構築であり、健康寿命の延伸である。その中心は「かかりつけ医」だ、と何度も何度も言ってきているが、地域社会のなかでは、一体どんな存在なのだろうか、どんな役割を担っているのだろうか。「在るべき“かかりつけ医”とは」と聞かれて、私はなんと答えればよいのだろう。

 そう考えていくと、医療・介護の充実や連携だけでは、地域社会の安穏を得ることはできない。そこに「互助」「共助」があって、人々の心を繋ぐ何かがあって、はじめて地域を包括したケアネットワークがつくり上げられるのではないだろうか。その何かとは、例えば「アラセツ」のように地域の全ての世代が参加し、心が一つになるような行事を毎年開催していく、というようなことがあれば、そのことが人々の繋がりと絆を強め、結果的に地域の連携力を高めることになると思う。

 我々が主催して3月10日に開いた「かかりつけ医県民公開講座」で、「かかりつけ医とは」と題して講師を務めた黒木康文先生は、阿久根市の開業医。消化器(肝臓)が専門だが、いろんな患者さんがやってくる。なかに、魚の目を取ってほしいという人が結構いて、その治療をしてあげていたら、今では「魚の目先生」と呼ばれているそうだ。黒木先生曰く、「じいちゃん、ばあちゃんが、先生いつまでも元気でいてね、といって心配してくれます。やっとかかりつけ医になれた気がしました」と。その土地に住む人々のそばにいるのが「かかりつけ医」だとすれば、愛情込めて○○先生と呼ばれるようになったら、「本物」だと思う。奄美にはきっと「お祭り先生」、「8月踊り先生」がいるに違いない。

 人々の絆が残っている集落はともかくとして、人との繋がりが希薄な都市部では、かかりつけ医自身がいろんなイベントに参加したり、地域の運動会や文化祭、健康づくりの集まりに顔を出したりして、仲間になることも、一つのやり方であろう。患者さんを診るのがもちろん第一だが、地域の人々との交流のなかで、「病と暮らし」を知ることが出来るかもしれないし、信頼をかち得ることもできるのではと思う。

 かかりつけ医が地域の「互助」「共助」の輪のなかに地域の一員として参加し、共生社会を共に作り上げていくという決意があれば、それが安穏な地域社会を形成することに繋がるのではないか。そして、このネットワークは、高齢者のみを対象とするのではなく、子どもも、難病を抱える方も、障がい者も、全世代を包摂・包括したものに作り上げていく必要がある。奄美の集落の人々の暮らしや心の繋がりを映像で見て、改めて強くそう感じた。地域包括ケアは全国一律ではなく、その土地に合った様々な形のネットワークが出来ればよいと思う。

 私も、私が住む地域社会のなかの、かかりつけ医として、どのように行動していけばよいのか、これからも考え続けていきたい。