年 頭 所 感
 
「かかりつけ医」と「オンライン診療」
  ~「医療の大本」を考える~

   鹿児島県医師会長 池田哉  

          
 明けましておめでとうございます。今年の干支である“うさぎ”で浮かぶ歌は、故郷(ふるさと)である。この年になると、子どもの頃遊び回った心の故郷、国分上小川や福岡県の田川の風景が思い出される。会員の皆様もきっと、たくさん心の風景を持っているはずだ。今年こそ、みんなが笑顔で故郷に帰れる、そんな安寧な年になることを願わずにはいられない。
 ところで、ここ数年は「今年こそコロナの感染終息を」が、年頭に交わす挨拶言葉である。その想いは変わらないが、少子・高齢化に人口減も加わった時代のなかで、医療は今、間違いなく転換期にあることも、認識しておきたい。なかでも「かかりつけ医の在り方」と医療の「ICT化」に注目している。具体的には「かかりつけ医の制度化」であり、「オンライン診療の恒久化」だが、どちらも「医療の大本とは何か」を考えなければならない政策である。
 新型コロナウイルス感染症と相まって、このところ、国の財政当局から「かかりつけ医」に対する制度化への提案が相次いでいる。財務省や財政制度審議会などが、かかりつけ医機能を発揮できる制度整備に言及し、「骨太の方針2022」では制度の整備を明記している。

 国民皆保険制を壊す登録制度 

 制度化を具体的にいうならば、かかりつけ医機能の要件を法制上明確化して、要件を備えた医療機関をかかりつけ医として認定する。認定されたかかりつけ医に対して、利用希望者(住民)による事前登録を促すという仕組みである。
 このような制度化の動きの背景に、医療改革だけではない、医療費の削減・抑制の狙いを読み取ることができる。そして、かかりつけ医の登録制と、人頭制(包括払い)を組み合わせた制度化に、各方面で賛否の議論が起きている。
 ここで、かかりつけ医の必要性が増してきた背景に、何があるのかを考えてみたい。一つには、超高齢社会を迎えた今、「治す」だけの医療から「治し、支える」医療への転換が求められている流れがある。同時にプライマリケアの充実に向けた要望も高まっている。さらに、コロナ禍により、かかりつけ医など地域医療を担う医療機関が十分機能しなかったとの指摘が、機能の充実や制度化を求める声を押し上げているようにも感じられる。
 しかし、他の先進国を見てみるとこれまでのコロナ禍で、日本がいかに患者数や死亡者数を抑えてきたかがわかる。それを評価せず、マイナス部分だけが大きく取り上げられ、それがあたかも現在の医療制度の欠陥のように報じられている。果たして真実はそうなのだろうか。国はこれをチャンスとばかりに、制度化の方向へと強引に導いているように思えてならない。将来、国民にとって今歩かされようとしている道が、悪道にならないことを切に願う。
 かかりつけ医が担うべき機能については、2013年8月に提出された、日本医師会と四病院団体協議会の合同提言に「なんでも相談でき、最新の医療情報を積極的にまなび、必要な時は専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる医師」と規定してあり、今も変わってはいない。我々鹿児島県医師会が独自に創設した「認定かかりつけ医」も同じで、目前に迫った超高齢社会に対応するための、新しい時代の医療提供体制をもつべきだ、との共通認識が医療界にはある。しかし、当然のことながら、提言のなかに「登録制」や「人頭制」の発想はない。
 財政当局の考える登録制は、英国の制度を基本に置いていると思われる。英国では、住民は必ず登録した医師を受診しなければならず、緊急でない場合には、2、3週間以上待たされることもあるという。他の医療機関を受診するには、主治医の紹介状が必須で、勝手に病院などを受診することはできない。
 ただ、かかりつけ医の機能をはっきりとさせ、充実を図ることに、我々は反対はしていない。健康管理への対応など一定の要件を満たした医療機関を認定し、公表するのも一つの方法だろう。これからは、一人のかかりつけ医では多くの機能に対応できず、チームとして地域内で連携し、「線」ではなく、「面」として住民の要望に応えるシステムが必要になってくる。ただし、登録制は容認できないし、義務化には反対である。「いつでも、だれでも、どこでも」の国民皆保険制度を壊し、「フリー・アクセス」を否定することになるからだ。
 振り返ってみると、2017年1月21日、鹿児島県医師会は、初めて「かかりつけ医県民講座」を開催した。挨拶のなかで、私は参加した県民にこう呼びかけた。「地域に根ざしたかかりつけ医の存在が、高齢者の尊厳を保ち、住み慣れた地域でいつまでも健康に過ごせる、社会のカギであると確信しております」と。その確信は今も、これからも変わることはない。
 かかりつけ医の制度化を巡っては、議論を重ねるなかで、一つの方向に収れんしていくのだろうが、地域に信頼され、技量も伴った真の「かかりつけ医」が誕生することに、これからも力を注いでいきたい。


 初診は“気配”を感じながら対面で 

 今ひとつの「オンライン診療の恒久化」は、医療のデジタル化を象徴するような医療の在り方である。以前から離島医療には活用されていたが、かかりつけ医と同様コロナ禍で、一気に推進する動きが出てきた。推進の理由はいくつかある。患者側のメリットとしては、他の患者と接することがないので、感染症の2次感染を防げる、基本的に予約制なので待ち時間がない、高齢者が出向く必要がないなどだ。
 一方デメリットは、パソコンなどビデオ通話のための機材、診療の限界、診療に必要な情報不足、検査ができない等があり、加えて言うならば、高齢者など機器の扱いに不慣れな患者は、受診が難しくなってしまう、などがある。
 オンライン診療に関しては、コロナ禍に乗じる形で、「安全性と信頼性をベースに、初診を含め原則解禁」の政府方針が出された。私はこれまで何回となく、この問題で発言しているが、オンライン診療を全面否定しているのではない。病気で来院できない高齢の方や、離島の患者には利便性があり、医療におけるICT化は避けて通れないと考えている。だが、オンライン診療が良質で適切な医療の提供に繋がるのか、見逃しや誤診の増加を招かないのか、安全性、有効性を十分に見極めていく必要がある。
 患者さんとの対面診療が、医療の大本であり、視診や触診で“気配”を感じながら、適切な治療を行うのが医師だと考える。止むを得ない場合を除いて、初診だけは対面で、を貫いていくべきである。日医も「初診は不可」を表明している。
 かかりつけ医とオンライン診療に言及してきたが、どちらの政策も、導入の意図は間違いなく「医療費削減」とIT産業の活性化にあると思われる。患者側に立った、真の医療とは何かを問う問題であり、安易に譲ることのできない課題である。会員の方々と共にこの一年、厚労省、財務省、内閣府の動きを注視していこうと考えている。
 冒頭で触れた“ふるさと”の歌詞を口ずさみながら、我々の“こころざし”が叶い、いつまでも“山青く”、“清き水”をたたえ、希望に満ちた地球が存続し続けることを願っている。